写研の歴史

「写研の歴史」……それは⽯井茂吉が写真植字機とその書体にかけた情熱の歴史であり、⽇本語書体に多彩なデザインが誕⽣した、⽂字表現発展の歴史でもあります。
ここでは写研創業者・⽯井茂吉の⼈⽣とともに、写真植字機の開発と発展、時代に合わせて⽣み出され、時代を作った数々の書体の歴史を紐解きます。

–1950

石井茂吉と
写真植字

写真の原理を応用して⽂字を印字する写真植字機は、1925年、石井茂吉(上左)と森澤信夫⽒(上右)により⽣み出されました。⽂字盤に光を当てることで、さまざまなサイズの⽂字を作り出し、⽂字の変形をも可能にしたその技術は、活字活版印刷に代わるあらたな印字技術として、⼤きな可能性を秘めるものでした。

1887

1888

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1947

1948

1949

1950

1951–1972

写研の誕生

1950年代になると石井茂吉は独自設計の写真植字機を開発。さらに本文向け小型写真植字機SPICA、万能写真植字機PAVO、自動写真植字機、そして数多くの書体を世に送り出し、全国に営業所とオペレーター養成所を展開。1972年、それまでの株式会社写真植字研究所の名称を、株式会社写研に改めました。

1951

1952

1953

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1958

1959

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1967

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1969

1970

1971

1972

1973–1992

華ひらく、
日本語書体

1970年から始まった書体のコンテスト「石井賞創作タイプフェイスコンテスト」をひとつのきっかけに、「スーボ」「ナール」「ゴナ」、そして「ファン蘭」「本蘭明朝」のような書体が次々と生み出されました。それまでにない斬新なデザインによって、日本語の表現力は大きく広がりました。

1973

1974

1975

1976

1977

1978

1979

1980

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1982

1983

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1985

1986

1987

1988

1989

1990

1991

1992

1993-

電算写植の完成、そして未来へ

1980年代以降、コンピュータの普及により書体、レイアウト作業がデジタル化するなかで、写研のシステムもデジタル化が進みました。そして2021年、モリサワとの提携によって、OpenTypeフォントのリリースが決定。時代を作った写研の書体は、次の未来へと向かっています。

1993

1994

1995

1996

1997

1998

1999

2000

2001

2002

2003

2004

2005

2006

2007

2008

2009

2010

2011

2012

2013

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